いきなり親不孝ですみません。
誰しもに当てはまることではありませんが、私は宮古島に移住したことで、今は親を看取ることはあきらめました。
親にも伝えてあります。
両親とはすこぶる良好な関係ですよ!
親も子離れし、私も親離れして、お互いドライなんです…w
今日は、これから宮古島に移住、永住しようと思っている方に、私が移住前に考えもしなったことをお伝えします。
「親を看取ること」をあきらめました
何も考えず旅立ったあの日
宮古島に移住した時、私は29歳でした。
その時、両親もまだ若く、親が年老いていくことなんて考えてもいなく、ただただ長年の自分の「沖縄に移住する」という夢を叶えることしか考えていませんでした。
三人兄弟の末っ子。親は厳しかったですが、最終的には末っ子特典で我がままに育ったせいもあり・・・(笑)
親には、「沖縄に移住したい!」というより、「移住するから。」と言った気がします。
母親は反対しておりました。
が、親の言うことには常に反発し、ことごとく逆らって生きてきたわがまま娘は、自分の夢を実現することだけ考えて生きてきました。
帰省して老け込んだ両親を見て思ったこと
私は北海道出身で、両親も北海道に住んでおります。
帰省するのは本当に大変。
何せ飛行機、2回乗り継がなければ帰省できません。
宮古島→那覇→羽田→千歳
宮古島→羽田/関西→千歳
関東・関西直行便を使えば1回の乗り継ぎで済みますが、それでも帰るには一日がかりです。
沖縄の離島、宮古島から北海道に帰省するには、お金も時間もだいぶかかるんです。
移住して間もない頃は、毎年なんて帰れず、気づいたら3年ぶり、4年ぶり・・・と、移住してこの12年の間に帰ったのは、たったの4回です。
親が何度か来てくれたので、帰らない年もあったせいもありますが。
それでも4回は少ないよな。えぇぇそうですとも。親不孝者ですよ。
そして、移住して6年目の年、久しぶりに帰省し、一気に老け込んだ両親を見て、初めて自分の親不孝さ加減に気付いたのでした・・・。
自分の夢がやっと叶うと、意気揚々と片道切符を片手に飛行機に乗ったあの日。
年老いていく親のことなんて、1ミリも考えていなかった自分を恥じた。
父が大病して覚悟したこと
3年前に、父が胃がんになりました。
お陰様で手術も成功し、今は病気前と同じ・・・とは言えないまでにも何とか回復し、今では大好きなテニスも出来るまでになったとのこと。
ですが、父の病気を聞いたこの時は、さすがに宮古島の移住生活を終わらせて、帰省することを本気で考えました。
が、現在、犬1猫5匹という大所帯。
そうそう簡単には帰れないのよね~。
介護が必要な状況になれば、いつでも犬猫連れてでも帰ろうと思っておりますが、
父が無事に回復したこともあり、今、帰らないのならば、
親を看取ること
を私はあきらめました。
仮に実家に帰ったからと言って、必ず親を看取れるという保証はない。
それよりも、
今できる親孝行を少しでもしていこう
と決めたのでした。
両親に感謝
うちの両親は私においてはあきらめたのかもしれませんが(笑)
二人ともドライで本当に子離れしているので、何も干渉してこない。
二人とも自分たちの人生が残り僅かだということをちゃんと分かっているんです。
だから二人とも我慢なんかせず、したいことをしている。
食べたいものを食べ、つつましやかですが、2人仲良くケンカしながら毎日を送っている模様。
私がこうやって好き勝手に地元を飛び出し、大好きな宮古島で生活出来ていること、両親に感謝します。
子供に何も期待せず、ただ「元気でいてくれればそれでいい」と言ってくれる両親にありがとうと心から思います。
最後に
誕生日を迎え、産んで育ててくれた両親に思いを馳せ、今日はちょっとこんなブログになりました。
南国に移住したい!と思うその前に、楽しいことだけではないことをちょっとだけお伝えしたかったです。
人それぞれ色々な人生があり、生い立ちがあり、親と疎遠だったり、縁を切られた方もいることでしょう。
それはそれで、私はいいと思います。
ただ、後悔のないように。
自分の若かりし頃、考えているようで、本当に何事においても考えが足らなかったので(笑)
いや~恥ずかしい限り。ですが、人はそうやって大人になっていくのだなとも思います。